お前がいつか出遭う災いは、おろそかにした過去の報いだ

雑談

ナポレオンの有名なセリフです。因果応報とも言いますが、過去の自分が犯した過ちというのは、いつか必ず自分に返ってくるという意味です。まさにこの言葉通りのことが起こりました。

東京オリンピック開会式の作曲担当の小山田さんが、過去の雑誌インタビューの中で同級生や障がい者へのいじめを告白していたことから批判が相次ぎ、ついに辞任するまで追い込まれてしまいました。ことの発端になったインタビュー記事は20年以上も前のものではありますが、インタビューの中で告白しているいじめの内容があまりにも悲惨なもので、批判が相次ぎました。小山田さん自身、ホームページなどにおわびの文章を掲載しましたが、それでも火消し効果は全くなく、批判が続く中での辞任となりました。

どれだけ時間がたっていようと、被害者からしたら到底許せない「いじめ行為」。人によっては死にたくなるほど追い詰められてしまいます。⇨【旭川14歳女子凍死事件】でもいじめに悩んでいた女子生徒が、寒空の下で凍死した状態で発見されたという悲しい結末になってしまいました。このいじめ事件に関しては、学校の教頭が「加害者生徒にも未来がある」という発言をしたことで波紋が広がりましたが、今回の加害者である小山田さんの場合、未来はありませんでした。結局、過去だろうが現在だろうが、自分の犯した過ちというのは自分に返ってくるということです。そこに未来などありません。むしろ、償いに時間がかかればかかるほど、いつかやってくる報いというのは、大きくなって返ってくるような気さえしてきます。

学校現場に勤めている関係で、いじめの現場にはよく遭遇します。教育的立場から指導しようと考えると、当事者である双方に配慮しながら指導しなくてはいけません。旭川事件の教頭が語った「加害者生徒にも未来がある」というのは、この指導方針からきている言葉かもしれません。しかし今までの経験上、加害者に配慮しなければいけないと思うような事例は一度もありませんでした。これは私がまだまだ未熟だからなのかもしれませんが、どうしても配慮する点が見つからなかったのです。いじめの発端なんて加害者の意思でしかないし、全ての行動は加害者の欲を満たすためのものです。そんな愚かな行為に対して、配慮すべきことなど今後も見つけられそうにありません。

小山田さんの過去のいじめに対して、「ここまで追い詰めるのは可哀想」という意見がありますが、きっとそれなりのことをしてきた見返りなんだと思います。確かに部外者がとやかく言う必要もないし、権利もありませんが、小山田さんが現在受けている批判は、過去の自分が償ってこなかった報いなのではないでしょうか?

学校で起こった⇨【いじめ加害者のその後】についてもまとめています。

 



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