クリスマスの一週間後には初詣に行っている日本人

雑談

特定の宗教を信じているわけではないけれど、クリスマスは家族で豪華な食卓を囲むし、新年を迎えれば初詣に行く、そんな人もいるのではないでしょうか?特に信仰している宗教があるわけではない、という人でも、特定の宗教イベントをやっているのが日本人の特徴だそうです。という私も、クリスマスはケーキを食べるし、必ず初詣に出向いて手を合わせています。

宗教に対して「危ない」「洗脳されそう」というイメージを持っているわりには、私たちの中に宗教の習慣というものがしみ込んでいるのも事実です。世界的にも、政治的にも、宗教は私たちに大きな影響を及ぼしていますが、一体なにがそんなに魅力的なのでしょうか?

宗教の誕生

キリスト教、ユダヤ教、仏教…宗教というのは大小ありますが、その数は計り知れません。人が信仰するものなので、時代の変化とともに次々と新しいものが生まれています。

そもそも、宗教はどうやって

生まれたの?

宗教というのは、我々人間にはどうにもならない天災や災害が起きた時、それを説明するために生まれると言われています。例えば、地震や雷、洪水、津波、これらの原因がわからなかった時代には、神の怒りとして考えられていました。また、流行り病や不作も神の怒りとして考え、儀式を行い神への捧げものをすることでその怒りをおさめられると考えるのが宗教の始まりです。

ようは、どうにもならないものに対して、祈りや願いを捧げることで解決してもらおうというものです。全てにおいて神の御業、だから祈れば救われる。17世紀ごろに科学が広まるまでは、宗教は人々から絶大な信頼を得ていました。


 

科学の誕生

それまで人間には理解できなかった災害などを、科学の力によって説明できるようになりました。18世紀になると雷は電気であることが解明され、19世紀には病は細菌が原因となっていることをつきとめました。人間は神が創ったものではなく、別の生物が進化したものだということが提唱され、神の力を信じていた人々も宗教から距離をとるようになりました。

科学が進歩しても分からないこと

科学が謎を解明する度に、宗教の意味が不透明なものとなり、だんだんと宗教の権威が無くなっていきましたが、それでもなお宗教は信じる人を救っています。それには科学で証明できない以下の理由が存在します。

「幸せ」とは何か

科学が世の中の謎をいくら解明しようとも、宗教が消滅しない理由はここにあります。どれだけ科学が発展しても、人間の悩みや苦悩は無くなりません。そこで出てくるのが信仰です。ある人は道しるべとして、またある人は心の支えとして祈りを捧げます。人々が「幸せ」を求めていく中で、精神的な面を支える役割として、宗教は現代も存在しています。広く言うなら「心理学」に当てはまるのかもしれません。心理の分野であれば、科学の対象外のため、手も足も出ません。

何のために生まれて死ぬのか

全ての人間が直面する人生最大の問題が「死」です。これは、どれだけ科学が進もうと、100%人間に訪れる未来と言えるでしょう。病にかかり、余命を宣告された人などは、自分の人生観が変わり、死に際や人生について考えるようになります。そうした時に、宗教の教えに出会い、救われる人も少なからず存在します。科学でも、医療でもどうしようもない問題に対して、最終的に救いを求める場所として宗教が必要とされるのです。

宗教の問題点

その人にとって救いの場所になるのであれば、どんな宗教でも尊重されるべきです。宗教の自由は、日本人に与えられた平等な権利ですから。しかし、一部の宗教は、悩める人の弱い部分につけ込み、信者を駒のように使っています。良くも悪くも、宗教というのは教祖が絶対的な力を持っています。日本では、宗教法人は税制面でとても優遇されているため、非常にたくさんの宗教団体が存在しています。純粋に悩める人のためにある宗教であるかは、自分で判断するしかありません。幸せを求めるがあまり、どこかに依存し過ぎないように気をつけてください。

まとめ

生きていれば様々な悩みを抱えます。仕事、家庭、異性…考えることは山ほどあります。しかし、悩みというのは生きている人としての特権でもあります。何かに依存したり、すがるだけでは生きているとは言えません。自分で考え行動し、始めて明るい未来が切り開けると思います。心のよりどころは必要ですが、のめりこみ過ぎないようにしたいものです。

tami
tami

お金の悩み、

⇨いくらあれば幸せになれる?

についてまとめています

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