特別支援学校の現場で見た、身体障がい者への考え方と接し方

学校・教育

大学時代、教員免許を取得するために特別支援学校に実習する機会がありました。普段の生活では接することのない障がい者と向き合うこと、抵抗はありませんでしたがどうすればいいのか全くの素人だったので多少の不安を抱えていました。実習が始まると、そこには自分の想像以上に過酷な現場が広がっており、先生方と生徒のマンツーマンによる指導に目を奪われる毎日でした。

初対面

生徒と初めて対面したのは、裁縫授業の時間でした。自分のお手製の手提げを作る生徒に混ざって、一緒に作業を進める簡単なものでしたが、やはりいつもと違う風景が広がっていました。自己紹介もほどほどに、自分の担当するテーブルへと向かいます。そこにいた生徒に声をかけますが、見事にかわされてしまいました。その後の作業でも、会話はできず、作業の様子を見守ることしかできませんでした。他の先生方はこの子たちにどうやって指示を出しているのか気になり、周りを観察してみると、言葉で説明している人は見受けられませんでした。先生方の手元を見ると、生徒の手本になりながら一緒に作業をしています。生徒は先生の手本を見様見真似で淡々と作業しています。言葉によるコミュニケーションは上手くいきませんでしたが、ジェスチャーによる動きはしっかりと伝わっているようでした。言葉よりも動作で見本を見せる、一つ目の発見でした。

ちょっとした事件

授業の後半、生徒の一人がおもむろに立ちあがり壁に向かって歩き始めます。どうしたのかと目で追うと、壁に到着したところで自分のズボンに手をかけ始めました。驚いた私は近くにいる男性の教員に助けを求めます。先生は慣れた様子で生徒の下へと駆け寄り、外へと誘導します。トイレへと連れて行くのかと思いましたが、どうやらそこまで間に合わないようです。外へ出ると、生徒は壁に向かって用を足します。私を含め、そこにいた実習生は目を疑いましたが、そこでは特に珍しい光景ではないようでした。

急な予定変更、要注意!

生徒の中には、自分のことを一通りできる子もいました。手がかからないので助かりますが、そんな子にも注意しなくてはいけないことがあります。それは急な変更や自分の思い通りにいかない時に、パニックを起こしてしまうということです。彼らの中では、自分なりに考えて予定を組み立てています。それが何らかの原因によって上手くいかないことがわかると、どうしたらいいのかわからなくなりパニックを引き起こすのです。こうなってしまうと手を付けられないので、そうならないように細心の注意を払います。 

パニック事件

ある日、私の担当している生徒が北校舎に向かって歩いていました。次の授業は本校舎なのに何をしに行くのかと気になり声をかけるとどうやら次の授業向かっているとのこと。私が「次の授業は本校舎だよ?」というと何を言っているんだというかのように相手にされません。歩き続ける生徒に再度声をかけますが、だんだん不機嫌になる生徒にこれはやばいと焦ります。ただ今から北校舎に行っていては、どう考えても授業の時間に間に合いません。焦る私は少し強い口調で生徒に駆け寄りますが、それでもきいてくれず、ますます不機嫌になるばかり。私まで遅れてしまう、いい加減にしてくれと思った瞬間ため息が漏れて生徒に聞こえてしまいました。その瞬間、ため息を聞いた生徒は感情を爆発させ、パニック状態に突入。突然の出来事になにが起きたと周りの先生方が助けに入ります。それでもパニックはおさまらず、私は茫然と立ちすくむばかりでした。

対応

その後の対応は先生方に任せ、私は先ほどの出来事を担当教官に報告しました。声をかけるタイミングを間違えたのか、指示の出し方を間違えたのか、自分の反省点を先生に話しました。相談しながら教えてもらったことは二つ。一つ、私たちは生徒の成長を邪魔してはいけない。二つ、私たちが思っている以上に彼らは自分の障がいと向き合っている

まず一つ目、私たちがすることはあくまでも生徒の手助けであり、彼らの成長を邪魔することがあってはならないこと。健常者では簡単なことでも、障がい者には難しいことがある。しかし、できないと決めつけて全てにおいて助けていては、彼らの成長を妨げることになってしまう。彼らの能力ではできない部分だけを支援してあげることが仕事である。だから、たとえ何回失敗しても成功するまで見守ることが大切なんだと教えてもらいました。あの時の私は、時間を気にするあまり、生徒の失敗を正すことばかりにとらわれていました。生徒が間違いをおかしても、その後フォローすればよかったのです。失敗前提で動けていれば、もう少し余裕をもって接することができていたと思います。 

そして二つ目。私はそれまで障がい者は手を貸さないといけない存在だとばかり思っていました。しかし実際には失敗を繰り返す中で確実に成長していたのです。自分のできることを見つけ、障がいのある体でできることを精一杯しようとしている彼らの姿に気が付くことができませんでした。自分の先入観でしか彼らをみることができなかった自分に情けなさを感じました。

その後

その指導を受けてからというもの、生徒の様子を見守り支援することに徹底しました。彼らが自分でやろうとしていることは全力で応援し、たとえ失敗してもすぐにフォローできる位置で見守る。危ない行動や危険があれば事前に察知して防ぐこと、これが自分の役割だと思い行動しました。すると自然に彼らの行動から考えていることがわかるようになり、始めは言葉でコミュニケーションをとることができないことに愕然としていましたが、それが気にならなくなるほどになりました。確かに上手くコミュニケーションがとれないことは厄介ですが、前提として「失敗しても大丈夫」と思っているので、トライ&エラーの精神で生徒と一緒に成長できたように思います。

まとめ

障がい者は誰かの助けを借りないと生きていけない。社会が助けてあげないと生活できない。と思っている方がまだまだいる社会で、生きづらさを感じている障がい者はたくさんいると思います。しかし彼らには家族がいて、人とつながりながら社会の中で確かに生きています。助けが必要だとかそんなことは関係なく、彼らも間違いなく社会の一員として存在しているのです。現に私は彼らと接することで、自分の役割やできることを再確認することができました。彼らは間違いなく私にとって必要な存在でした。まだまだ多様性といっても限定的な部分があると思いますが、全ての人にとって生きやすい世の中になることを期待しています。

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